己を晒す

u-82006-07-31

ブログについて第二回は日記を公開する意味について考えてみたいと思います。


ず日記とは

①日々の出来事や感想などの記録。
古くは「土佐日記」「御堂関白記」などが著名。
一般的に、日誌よりは私的・個人的。にき。
②日記帳の略。
広辞苑第五版より抜粋

と定義されています。
鍵つき日記帳などが売っていることや、プライベートな出来事を綴るわけですから非公開なのが当たり前です。
しかし、それと違いブログはネット上に公開する日記です。人に見られることを前提として存在しているわけです。
では公開しているからプライベートとは関係のないことを書いてあるかといえばそうではない。
数あるブログを見てみれば分かるとおり個々人が実に個人的な出来事をあるいは赤裸々に綴っているのである。
出来事、食事、近隣であったことなど個人の性格や趣向、果ては住んでいるところさえも人前に晒してしまうのである。


ではほとんど見ることがなくなったが個人が綴る日記以外の日記として交換日記というものが流行った時期があった。
交換日記とは一つの日記帳に複数の人物が日替わりなどで交換し合い、その日あった出来事などを書き込んでいくものである。
特に小学校の女子児童の間で広まり、他人の日記を読むことが主たる目的というよりも親睦を深め合う意味で用いられることが多かった。
そこでは日記を交換し合う一つのコミュニティが生まれるわけであるが、それはあくまでも知り合い同士友達同士の付き合いの延長上の関係であった。
逆にそのコミュニティに参加できない人はそこに参加している人から排除された意味合いも持っていた。
何も言うことなく他者との関係を線引きできるツールとして用いられたとも考えられるのである。


開する日記という意味での交換日記とブログは一見近い存在のように思えるが、その実全く異なる性質を持っている。
まずブログは不特定多数が閲覧することが出来るということである。
自分の書いた文章をどこの誰かわからない人物が目にすることができるという意味では、仲間内で見せ合う交換日記とは全く違うコミュニケーションが発生する。
具体的には

  • 自分も相手を知らないし、相手も自分を知らない、よって特定の人に当てるような書き方はまずすることができない。
  • 公開されるのが前提として存在しているため詳細な個人データを記載することができない。
  • コメントやトラックバックなどにより半同期的なレスポンスが得られる。

など、列挙すればきりがないくらいである。
コミュニケーションの違いはコミュニティの違いであり、そこに存在するルール、文化も違ってくるのは言うまでもないことだと思う。


う一つはブログは個人の出来事のみならず、ニュースなどの時事ネタについてコメントをすることがその大きな役割を担っていると考える。
例えば芸能人のブログなら出演する作品などの紹介をすることもあるだろうし、レビューサイトのようなところであれば新商品をいち早くレビューするであろう。
ここが日記と違う大きなポイントであると言える。
不特定多数に見られてるということは逆に言えば不特定多数が見てくれるということでもある。
情報というものは時間が立てばたつほどその価値を失っていく。ブログはその情報を一番いい鮮度で手に入れることが出来るいわば情報の発信源なのである。
見られているではなく、見せることを考えて作るのがブログであるといえよう。


のようにブログは日記という個人の覚書から人に自分の持ちうる情報を発信しコミュニケーションをとるツールとして用いられている。
ブログを「ネット上の日記」などと称することが多いが、もう既に日記としての枠組みを飛び越え新たな可能性を見出していると言っても過言ではないと思う。
情報化する社会の中で個人が情報を発するということの意味をブログが教えてくれているのではないかと私は考える。